2018年6月29日金曜日

米国Zippo 英国Ronson 独国IMCO と言われる話の確からしさは?

日本語版Wikipediaの「イムコ」の項によると、(2018/06/25現在)
第二次世界大戦ではアメリカ軍将兵がジッポー、イギリス軍将兵がロンソンを使用したのに対し、ドイツ軍将兵はイムコを愛用した。
と、ありますが。
このイムコに関する記述はどれくらい確かな事なのでしょうか?
ドイツの将兵は本当にイムコを愛用したのでしょうか?

日本語版のWikipediaには、上記の記述があり、
また、日本でイムコを扱う販売店は、口をそろえて同じ事を売り口上にしています。

しかし、これに類する(イムコがドイツ軍将兵に愛用されていたとする)記述は、ドイツ語版Wikipediaには見つかりません。(2018/06/25現在)
IMCO war neben der Firma Ronson in den USA der älteste existierende Feuerzeughersteller der Welt. 1907 gründete Julius Meister in Wien die "Österreichische Knopf- und Metallwarenfabrik Julius Meister & Co". Aus den Initialen wurde IMCO gebildet. Gefertigt wurden vorwiegend Knöpfe für den militärischen Bedarf. Nach dem Ersten Weltkrieg endete die Nachfrage dafür und so verlegte sich IMCO ab 1918 auf die Herstellung von Feuerzeugen, zunächst aus ausgeschossenen Patronenhülsen. Die Formen der frühen IMCO-Feuerzeuge lassen die Urform der Patrone noch erkennen. Das erste IMCO Feuerzeug wurde 1918–1919 entwickelt und 1922 konnte das erste Patent Nr. 89538 angemeldet werden. Seitdem wurden ca. 70 verschiedene Feuerzeuge entwickelt und weltweit vermarktet. Zum Anfang des 20. Jahrhunderts war die österreichische Feuerzeugindustrie führend, da auch der Feuerstein (‚‚Auermet‘‘) vom Österreicher Auer von Welsbach erfunden wurde.
ドイツ語は読めないので、これをGoogle先生に訳してもらうと、
IMCOは、世界で最も古い既存の軽量メーカーである米国の Ronson社の隣にありました。Julius Meisterは1907年、ウィーンで「オーストリアのボタン&金属製品工場Julius Meister&Co」を設立しました。イニシャルからIMCOが結成された。ボタンのほとんどは軍事的なニーズに合わせて製作されています。後に第一次世界大戦IMCOはそれに対する需要を終了し、IMCOは1918年から、最初に課されたカートリッジのケースからのライターの製造に移った。初期のIMCOライターの形状は依然としてカートリッジのプロトタイプを明らかにする。最初のIMCOライターは1918-1919年に開発され、1922年には最初の特許第89538号が登録されました。それ以来、世界中で約70種類のライターが開発され、販売されています。20世紀初頭、オーストリアのライター業界はリーダーであり、オーストリアのAuer von Welsbachによってフリント( 'Auermet' ')も発明されました。
となります。
第一次世界大戦で、軍の為にボタンを作っていたことは読み取れますが、第二次世界大戦については記述がありません。

また、ロシア語版のWikipediaも参照してみます。(2018/06/25現在)
Зажигалка Triplex поставлялась в Вооружённые Силы Третьего Рейха — Вермахт, что определило её послевоенную всемирную популярность (более 90 % выпуска шло на экспорт)[6].
ロシア語は読めないので、これをGoogle先生に訳してもらうと、
ライタートリプレックスは戦後の世界の人気(輸出の90%以上が輸出された)を決定した第3帝国軍の軍隊Wehrmachtに供給された[6]。
翻訳がよくわかりませんが、これは、日本語のWikipediaと似たような事を書いているのかな? 「第3帝国軍の軍隊Wehrmacht」とは「ドイツ国防軍」の事の様です。

日本語・ドイツ語・ロシア語のWikipediaを見てきましたが。
Webアーカイブから参照できるイムコ本家のサイトの記述(2011/11/16)も参照したいと思います。
IMCO is the second oldest operational lighter manufacturer in the world, second only to Ronson in the USA. In 1907 Vienna, Julius Meister founded the Austrian button and hardware factory Julius Meister & Co. “IMCO” was created from these initials. The factory initially mainly produced buttons for the military. After WW I, there was no longer a demand for these and so, from 1918 onwards, IMCO switched to the production of cigarette lighters. In the early days, these were made of empty cartridge cases. The shape of the cartridges could still be seen in the forms of the early IMCO lighters. The first IMCO lighter was developed between 1918 and 1919 and in 1922 the first patent was registered, No. 89538. Since then, around 70 different lighters have been developed and sold worldwide. The Austrian lighter industry entered the 20th century as market leader, for the flint lighter (“Auermet”) was also created by the Austrian Auer von Welsbach. Among the enormous number of firms operating today, there are sadly now only two providing Austrian quality in the sector.
英語も読めないので、これもGoogle先生のお力を借りて、
IMCO世界で2番目に古い作戦ライトメーカーであり、アメリカのロンソンに次ぐ2番目のメーカーです。オーストリアのボタンとハードウェア工場を設立したJulius Meister&Co.「IMCO」は、1907年にウィーンでJulius Meisterが設立されました。工場は当初、軍隊用のボタンを主に生産していた。WW Iの後では、もはやこれらの要求はなく、1918年以降、IMCOはたばこライターの生産に切り替えました。初期には、これらは空のカートリッジケースでできていました。カートリッジの形状は、初期のIMCOライターの形でも見られます。最初のIMCOライターは1918年と1919年の間に開発され、1922年には最初の特許が登録されました(No. 89538)。以来、世界中で約70種類のライターが開発され、販売されています。オーストリアのライター業界は、オーストリアのAuer von Welsbachによって、フリントライター(「Auermet」)が創設されたことから、20世紀に市場リーダーとして参入しました。現在稼働している膨大な数の企業の中で、悲しいことに、この分野でオーストリアの品質を提供しているのは2つだけです。
と訳されますが、、、
ここにはドイツ国防軍の話はありません。
ここまで、2対2で引き分けです。ドイツ国防軍の関与についてはどれが正しいのでしょうか?

ドイツ語のWikipediaとWebアーカイブによるIMCO自身の解説は、元は一緒の様に見えます。(IMCO自身の記述がWikipediaに転載された?)
そして、日本語とロシア語のWikipediaの記述については、いずれもオーストリア本国を離れた国での不正確な記述である可能性もあるのでは?と、実は考えています。

第二次世界大戦のドイツと言えば、ヒットラー率いるナチス・ドイツです。
このナチス・ドイツに協力していたとなれば、企業のイメージとしては最悪です。
IMCO自身の解説やドイツ語版Wikipediaにドイツ国防軍の記述が無いのは、その事に触れない為かも知れません。
しかし、企業のイメージとして最悪だからこそ、協力させられていた企業の中にはブランド名や企業名を変更する場合もあると考えられます。(KARAT-INGAD社はそれに当たるかも知れません。バロックハウス:◆'30年代インガッド(INGAD) の頁を参照
ですが、IMCOは一貫してその名称を現在まで残しています。
これはIMCOはナチス・ドイツとは一定の距離を置いていた。または、単に相手にされていなかった。からではないでしょうか?
本当にIMCOはドイツ軍の将兵に愛用されていたのでしょうか?

ここで、Googleで「ドイツ軍 ライター WW2」の様に画像検索すると、次のキャプチャー画像のようなライターが検索にかかります。

右下の方に1点イムコが出ていますが、殆どが円筒形でキャップと本体の分かれるライターです。
これら無銘のライターに比べると、イムコにはちゃんとしたブランド名があり、そちらで検索するのが当たり前ですから、当然このような検索の結果に成るのかも知れません。
しかし、第二次世界大戦当時、不足する真鍮や綿の為、兵士用のライターはこの様な簡素なものが主流だったと、バロックハウスさんこの記事には書かれています。
実はドイツ軍では、イムコよりもこの様なライターが主流だったと想像する方が自然なのではないでしょうか。

本当にIMCOはドイツ軍の将兵に愛用されていたのでしょうか?
恐らくIMCOを使うドイツ軍の将兵は居たと思われます。時代が重なるのは動かざる事実です。その時代のIMCO製品を手に取る人の中に、ドイツ軍の将兵が居てもおかしくありません。
ただ、「第二次世界大戦ではアメリカ軍将兵がジッポー、イギリス軍将兵がロンソンを使用したのに対し、ドイツ軍将兵はイムコを愛用した。」と言うほどにイムコが使われていたとは思えないのが素直な自分の見解です。

自分が何故「第二次世界大戦ではアメリカ軍将兵がジッポー、イギリス軍将兵がロンソンを使用したのに対し、ドイツ軍将兵はイムコを愛用した。」の一文に対して疑義を申し立てるのかと言いますと。
これと同じ位に(ほぼセットで)IMCOについて言われてる…
「戦地では伝令の代わりなどにも使用されたという(火を灯し、脇にメモや指示書を置き去る)」
と言う伝承(日本語版Wikipediaに記載あり 2018/06/25)は明らかに都市伝説の様なもので、事実とは違うだろうと考えているからです。

【検証動画】ZippoとIMCOのオイルライターは照明として使用できるのか?利便性と危険性の検証
 
上記のlinks_you_2010さんの検証動画の通り、オイルライターは長時間燃焼し続けると、熱で気化したオイルが漏れ出し炎上してしまいます。

また、第二次世界大戦の頃のトリプレックスは次の写真の4700タイプになり、6600や6700の物とは若干異なります。


このライターのタンクが、消耗品パーツとして、本体と別に購入できるなら良いのですが。恐らくそれはないと思います。
もし、そうだとするとebayなどのオークション市場ではもっとたくさんのタンクが出品されると思われるのですが、そうは成っていないからです。
当時このタンクのみを購入できるような取り組みは、行われてなかったと考えるのが自然かと思います。

だとすると、このIMCO TRIPLEX 4700 その物を伝令の度に使い捨てにしていた事になりますが。。。正直、ちょっとそれは想像できません。
復刻版のIMCO TRIPLEX 6600や6700と同様の機構は第二次世界大戦以降に取り入れられた機構です。それは2000年代前後では非常に安く売られていたため、伝令の為に使い捨てると言う話は自然と受け入れられたかも知れません。
しかし、当の第二次世界大戦の時代は、物資が足りなく簡素なライターが作られていた時代です。
その時代に於いてこのIMCO TRIPLEX 4700 は非常に複雑で、贅沢なつくりです。
この様なライターを使い捨てにはしないと思うのです。

この
「戦地では伝令の代わりなどにも使用されたという(火を灯し、脇にメモや指示書を置き去る)」
と言う、明らかに嘘と思われる口上と、
「第二次世界大戦ではアメリカ軍将兵がジッポー、イギリス軍将兵がロンソンを使用したのに対し、ドイツ軍将兵はイムコを愛用した。」
と言う、口上は、ほぼセットで見かけます。
そうすると、「第二次世界大戦ではアメリカ軍将兵がジッポー、イギリス軍将兵がロンソンを使用したのに対し、ドイツ軍将兵はイムコを愛用した。」に対しても、、、
少々疑ってかかりたくなります。
販売店のセールストークで嘘もしくは大袈裟に言ってるだけではないか?と。

IMCOについて、バロックハウスさんのイムコの記事で深く考証されています。
IMCO二代目オーナー社長Hanns Silberknopfは、1937年、ラテン語(英語も同じ)名の"TRIPLEX"(トリプレックス)ライターを特許申請し、製造をはじめます。
が、翌年の1938年、自殺。
父の創業者(Bernhard Silberknopf)は1935年に他界し、当時のウィーン新聞の告別式(死亡)広告欄に掲載されていた事が確認されています。
ところが二代目についての葬儀記録などは在りません。
この年、ヒトラー・ナチス政権がオーストリアを合併(アンシュルス)し、ユダヤ系だった社長はこの事に絶望して自殺したとの事です。

しかし、彼の『トリプレックス』は、(一部改良され)2012年まで続きました。
まさかこんなところで「ヒトラー」が出てくるとは・・・、想定外の事ですが、事実です。
1938年から敗戦1945年、その後の4ケ国占領統治の1950年(正式な独立は1955年)まで、イムコ社を含む、ウィーンのライター製造業は麻痺状態でした。ヒトラー・ドイツへの軍事協力が優先され、真鍮・綿不足のため、ライターは兵士用の簡素なもののみでした(下に当時の独軍の兵士用ライター掲載)。当時、規模の大きなユダヤ人のライターメーカーはオーナー追放、工場没収と払下げ、社名変更で、優先されて操業出来ていましたが、ボス自殺のイムコ社は全く無視されていたようです。
二代目オーナーのボス自殺後、会社は従業員の2人が共同代表になって引き継がれていきます。
つまり、トレンチライター、トリプレックスの『イムコ』は、おおよそ軍用・兵士用とは縁遠いライターだった訳です。
上記の様に書かれています。
既に答えが書かれていますが、IMCOはユダヤ系の社長が自殺する事により、ナチス・ドイツによる会社の接収を免れたと考えられます。
そして、これによりIMCOがナチス・ドイツに強制的に加担する事は無かったと思われます。
加担しなかった結果、不のイメージを植え付けられなかったIMCOは、ナチス・ドイツの崩壊後の現在までそのブランド名「IMCO」を残し、世に知られる存在となったと考えられないでしょうか。

これは「第二次世界大戦ではアメリカ軍将兵がジッポー、イギリス軍将兵がロンソンを使用したのに対し、ドイツ軍将兵はイムコを愛用した。」と言う口上とは矛盾が生じます。
恐らく、この口上は販売店が作ったセールストークなのでしょう。
確かにZippoやRonsonと対比する事でシンプルで分かり易く、良いセールストークだったのかも知れません。

でも、実際には、それ程多くIMCOのライターがドイツの将兵に使われた事は無かったのだと思われます。
もちろん第二次世界大戦の時代にIMCOは存在しました。なので、IMCOを愛用するドイツの将兵は当然存在したと思われます。
しかし、この口上から期待するようなミリタリー系のストーリーやロマンとは裏腹に、軍用・兵士用とは違うライターだったと思われます。


そう言えば、この口上では、それぞれの国で愛用されたライターの市場規模については言及してませんね。
言及しない事によって、受け取り手が自由に想像できる。
また、言及しない事によって、IMCOを手に取ったドイツ将兵も少なからずいたと思われる事から、全くの嘘とも言えないわけです。
ちょっとズルいけど、ウマい売り口上ではないでしょうか。


【リンク】
今回のブログ記事では、次のサイトを参照しています。
日本語版Wikipediaのイムコ
ドイツ語版WikipediaのIMCO
ロシア語版WikipediaのIMCO
IMCO社のWebアーカイブ
バロックハウス
特に、バロックハウスさんのイムコに関する記事は、非常に勉強になります。
自分の様にイムコしか見ていないコレクターでは、到底たどり着けないプロの視点で、イムコを含む在りし日のウィーンのライター業界について考察されています。
イムコファンは一見の価値ありです。是非、読んでいただきたいサイトです。

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